自己紹介

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人生を振り返った時、どの記憶にも必ず「音」があります。

物心がついた頃からずっと、音楽と共に生きてきました。

たくさん弾きましたし、歌いました。そして聴きました。

数多くの心に響く音に出会いました。

そしてそこには必ず『人』がいました。

辛いことや苦しいことがあっても、音に支えられてきました。

いつか私も私に響いたように、誰かに響く音を奏でたい。

喜びと共に音楽を楽しむ仲間を増やしたい。

大きな憧れを胸に、たくさんの「音楽と人」との出会いによって、私の毎日は日々豊かに深まっています。

 

ずーっと何の疑いもなく、音楽が好き、と思って生きてきました。

子供の頃は習いたくて習いたくて。
ずーっと親にお願いして、ようやく小2で念願叶ってヤマハでエレクトーンを習い始めました。

小4で市の合唱団に入団しました。
歌うのもとても好きでした。
アルトだったので、ハモるのも得意になりました。

中学生になり、部活もあってレッスンはまったく捗りませんでしたが、先生に出された宿題は何もしなくても、弾きたい曲だけをずっと弾いていました。
楽譜が苦手だったので、ろくに楽譜は見ないでテキトウに弾いて、いつも先生に怒られてばかりでした。

それでも、ずっとずっと弾いて弾いて、弾いて。

エレクトーンの足の鍵盤が折れるほど弾いて。

中学生の頃からはバンドにハマって、夜中まで部屋でCDを聞いていました。
覚えるほど聞いて、歌詞をルーズリーフに書いたりもして。

でも、楽譜がキライなくせに楽譜がないと何も弾けないと思いこんでいたので、好きな曲を自分で弾いてみようとも思わず。
ちょっと弾いてみても、カッコよく弾けず、すぐに諦めてばかりでした。

先生にはクラシックを聴きなさい、と言われましたが全く良さがわからず。
興味のないことを宿題に出されるのは同じ音楽というくくりでもまったく楽しくなかったのを覚えています。

そして、先生からは、ピアノも習わないの?と勧められていたにも関わらず、私も親も全くその意味が解らず、スルーしていました。
習ってみたい、くらいは言ってたような気がするけど、本当によくわかってなかったです。

そして、初めて自分でアレンジした曲で発表会に出てみよう、となった年、やり方がどうしてもわからなくて泣いて、挫折してレッスンを辞めようかと思ったこともありました。

母いわく、できないから辞める、というのはやめたら?となだめてくれたそうで。
(覚えてなかったけど笑)
その年は、本当に間に合わなくて出演できず。

その次の年は先生に勧められたクラシック曲で出演して、まったく気持ちが乗らず。

そして高校生になり、大好きなドラマの挿入曲のアルバムから自分で選んだ曲がものすごく気に入って(その曲は聴いたらすぐ泣けるほどの失恋ソングでもありました笑)

ステージで思い切り自分をさらけ出す演奏ができた日。
初めて田舎で賞状を手にして、嬉しくて泣いたな。
よくできる友達がたくさんいたので、そんなに泣く!?ってほど泣いてたと思います笑
先生が苦笑いしてたのも覚えてるくらい笑

次の大会に一歩踏み入れてみると、それはそれはもういつもとはまるで違う世界が広がっていて、驚きしかなかったです。
特急に乗って街に出るだけでもうすでに緊張していたし笑

これ以上小さくなれないくらい、縮こまって弾いた日笑
今よりもっともっと小さかったな、私!笑

そして、縮こまった大会を終えて田舎に戻ってしばらくして、エレクトーンで進学しようかな、などと突然口走って、先生を驚かせたりもしました。

音大に行く場合は、親が熱意を持って小さいうちからピアノとソルフェージュを習いに行くのが田舎でも普通な時代でした。

高校生にもなって受験を突然思いつきのように口走る私に、先生は「だから早くピアノ習いに行きなさいって言ったのに!」と笑

ちょっとは期待されるところがあった模様です笑

そして、そんな私の思いつきのようで実はずっと温めていたひとことから、人生の方向性が決まると同時に怒涛のレッスン漬けの日々か始まりました。

エレクトーンのレッスンに加えて、ピアノのレッスン、声楽のレッスンに聴音のレッスン、週4以上のレッスン。

特に、ピアノは楽譜が苦手だったこともありとてもとっつきにくくて。クラシックが苦手、と思い込んでいたので、ますますやらないといけないことが重荷で。

出会い方が良かったら、いい曲だ、とか、興味を持ったりとかもできていたかも知れないのに、義務で出会ってしまうともう。

つべこべ言うヒマもなく日々とんどん弾くしかなくて、でも子供の頃みたいな楽しいだけの弾き方は許されず、ますますはかどらず。。。

受験までに、ピアノの先生の発表会に出していただき、貴重な一回だということは今なら痛いほどわかるけど、当時はもうイヤな気持ちばかり!

暗譜も怪しくて、ステージで演奏が止まる、という経験もこの時初めてでした。
なかなか立ち直れなくて、たくさん泣きました。

こうしてみっちりピアノ恐怖症に仕上がり。。。泣

なんと、音楽短大に進学してからは、狙ったようにコワーイ先生に当たりました。
そこから辛い日々を乗り越え、ピアノが楽しいと思えるようになるには本当に長い長い年月を要しました。

とにかく早く習い始めたり、レッスンや曲も楽しかったり、もっと思うように弾けたらまた違ったことになっていたのに、と思ってもあとの祭り。

もし、今、あのときの私に会ったとしたら、かけたい言葉が山のようにあります。
何も知らないっていうことは大変なことでした泣

とにかく、短大では良いお仲間ができ、切磋琢磨という言葉がぴったりの頑張る人たちにたくさん出会いました。
今でもSNSで交流が続いていたりします。

せっかくのそんな環境の中、遊び回ってみっちり勉強してなかったのが未だに悔やまれますが。

でも若い貴重な時間を音楽だけに費やすことができたのも反対しながらも進学させてくれた両親と、できない私のお尻を叩いてくださった先生方のおかげでした。

何も知らない、できない、よくわからないなりにもなんとか学校生活を終えて、卒業と同時に地元に戻り、ヤマハの講師として仕事に就きました。

そしてふと気づくと、もう25年以上も!ヤマハで講師としてお仕事を続けていました。

お仕事の中でも、いろんなことがありました。
大きくなっていく生徒さんたちの成長を見守る喜び、音楽にあふれる毎日の楽しさの中にも、たちはだかる厳しさもあり。もうアカン、と思ったこともありました。
そして、仕事が増えると、音楽面も家庭やその他でも、自分の活動ができないことも葛藤でした。

結婚したり出産したり、離婚して再婚してまた出産して、と私生活でも紆余曲折ありつつも何とかありがたくお仕事を続けてきました。

そして、今、私は自分の胸に手を当てて考えています。

音楽が好き??
お仕事が好き??

今、そしてこれから私はどう生きていきたい??

がむしゃらに走り続けた先はどこに続いていくのかさっぱり見えていなかった私の、人生の岐路がとうとうやってきました。

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